ごあいさつ

劇的な変化の中で会長交代

 平成14年度日野コンテッサクラブの総会は例年だと河口湖湖畔桜が見頃の時季、ところが今年は奇しくも10日ほど早く既に葉桜となっていた。こんな自然界の劇的な変化が日野コンテッサクラブに訪れ様とはクラブ員誰もが想像し得なかった。会長交代劇である。前高田会長から総会の席で交代の趣旨が話された。しかじかこれこれ会長の交代を飯田新会長に御願いをする・・・その直後一瞬部屋が真空状態になった。誰もがぇぇぇぇと、何故と言う事を反芻したのだろう、それだけ前会長の人望の篤さを会員は気持的に払拭出来なかったのだろう。高田会長ご苦労様でした。

新会長・コンテッサの轍を振り返りながらクラブ運営

 ・・・・そんな事で新会長に推挙されました。・・・・日野コンテッサクラブは歴史的にも29年の確固たる時間の積み上げの中で古い車を親子二代に亘り維持して来た背景には、自らの努力とコンテッサに対する憧れが維持する術を身に付けたのだろう、そのノウハウを会員が相互に共有し合えるクラブとして成長期からいま成熟期へと、リボンタイヤの轍を振り返りながら、会員皆様と闊達に意見交換し活動を進めて参りますので、皆様方のご厚誼下さいますよう宜しく御願いいたします。

解けぬ疑問符なぜコンテッサ・に乗るの

 よく耳にする言葉、何故コンテッサに乗るの?それは其れぞれの想いがコンテッサの中に過去の時代が包まれているのだろうか、いつの時代にあってもその包まれた思いは何時も新鮮な輝きを持ち続けているがゆえに乗り続けているのだろう、この思いは個人差を越えてクラブと言う仲間横の繋がりに発展し暮しの標にもなりつつある。もう一つ車いじりが多分好きなんだろう、自分で手を汚し鉄の冷たさを感じ手についた油の臭いや昔乍らの排気音を聴くと癒されるのではないかとも思える。こんなクラブの集まりの紹介“日野コンテッサクラブのご紹介”を読んで下さい。

内外のクラッシックカークラブとの友好を図る

 ヒストリックカークラブの活動が全国的に盛んな今、使い捨ての時代から物の大切さをヒストリックカーを通して語り合えるような、そんな土壤こそがいま求められて居るのではないかと考えます。コンテッサクラブ員の中にはどこかの納屋で朽ち果てた車に新たな息吹きを、大川に掛かる幾壱百の鯉幟、風を口一杯に吸い込み隆々と空を描く姿は「藏に眠っていた物」への息吹きが満喫できる。こんな思いと相通ずるとこがあるようだ。今後クラブ員一丸となって昔の「業」を広く伝えていきたいと考えております。また、クラブ員が日野コンテッサで皆様の町や村を通るとき一声おかけ下さいませ。

日野コンテッサクラブ会長:飯田 富男

前会長退任挨拶

 1983年この会場におきまして、終身会長ということでご推薦頂きながら、目の黒いうちにリタイヤすることは誠に申し訳なくまた残念に思う次第でありますが、この2月に80才を迎えました。80才と申しましても、79才の次で81才の一つ手前というだけのことで別にどうということもありませんが、幸い世間並みに脳味噌の襞が減少いたしまして、クラブ内部のこと、対外的なこと、よせばいいのに敗残兵の集まりの面倒も少々みておりますので、これらの情報が一度に押し寄せますと、みずほ銀行じゃないけど脳味噌がパニックに陥り、処理しきれなくなることがしばしばである上に、体力的にもイベントの準備に二晩徹夜なんていうことは遙か昔のことで、最近は鋸を半日も振り回せば、腰が痛いだの息が切れるなどと言った状態です。

 こんな状態でクラブの運営に携わっていては、クラブ自体が老化いたし兼ねませんので、誠に申し訳ありませんが会長職を辞退させて頂く決心をいた致しました。

 長い間ろくなことが出来ませんでしたが、曲がりなりにも今日まで会長を務めさせて頂きましたことは、偏にクラブ員の皆様のご支援とご協力の賜と、厚く厚く御礼申し上げる次第でございます。

尚、今後は広報として従来通り会報の編集・印刷に従事させて頂きますのでよろしくお願いいたします。有り難うございました。

平成14年4月21日 高田 幸雄(元会長時代挨拶)